設計室での独り言


伊達藩(仙台藩)

 青根温泉を調べてました。

開湯1528年名号の湯とあります。

おそらくは、現在名号館の入り口にある貸切風呂(町営)の場所がそれにあたるようです。

 西暦1600年といえば「関ヶ原の戦い」で事実上徳川の天下となる「江戸時代」の始まりです。そのころ伊達政宗公はおよそ33歳、後の記述によれば「政宗が希望した恩賞の追加は尽く却下され、領地は60万石となった(のちに近江国常陸国に小領土の飛地2万石の加増で62万石となる)」(Wikipedia)とあります。

 「政宗が希望した恩賞の追加」とは何でしょうか!?調べによれば100万石を希望していたようですが、徳川はそれを認めなかったようです。(蔵王山方面では刈田岳までとしたそうです。)

 青根温泉より蔵王山(お釜)の方向には、お釜(五色岳)から続く濁川渓谷、それと澄川渓谷があります。青根温泉は濁川渓谷の下流にありますが、この濁りというのが「硫黄」です。「硫黄」はマッチの原料、つまり「火薬」です。

 蔵王山のお釜から山形県側へ行くと地蔵岳と熊野岳の間に蔵王鉱山の跡地にあたる「元山」(もとやま)があります。昭和38年閉山までおおよそ800人もの労働者が硫黄を発掘しておりました。

 元山から、4km程下ったところに「精錬場」がありその周りは大規模な労働者の集落がありました。宿舎(ハーモニカ長屋)、大浴場、郵便局、小学校、毎晩あちこちで円陣が組まれ、男たちが酒を酌み交わし、必ず喧嘩が始まり決着が着くとみんな寝るといった生活が繰り返されていて、当時、通常の公務員の3倍以上収入があったようです。ただし構内での掘削作業従事者は落盤事故にて一瞬にして命を落とすそんな作業の連続でした。(お経をあげることが出来ないので男たちの腕には「何妙法蓮華経」の入れ墨をほってあります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E9%89%B1%E5%B1%B1

http://zao-mine.org/

 伊達藩が希望していた100万石が認められれば、この「硫黄」が手に入ることになります。

  青根温泉は西暦1600年より前(西暦1528年)に開湯し、のちに伊達家癒しの宿「不亡閣」が建立しておりました。(現21代当主)

 先見の目が鋭かった伊達藩はいずれ来る伊達の世が見えていたのでしょうか。。・・・・・(続く・・)。

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