青嶺閣物語③
この建立された名号館という名前の「神社」。これからおおよそ30年間多くの人に親しまれることになりますが、その後またもや変化が現れます。それは「移設」。。つまり曳まいにて建物を移動したのです。

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真ん中にある小さな建物は現在の名号の湯、つまり共同浴場です。(現在は川崎町が管理しているプライベート温泉です)
その左側にあるのが名号館ですが、例の象の彫り物(木鼻)があります。
それが、大正時代になると
↓ 曳まいにより移動されて手前に新しく建築物が作られます。

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よくみると入口にあった名号館が奥に(象がいます。)
手前には新しい建築物が(現、通称「大正館」)建立されてます。