青根温泉温泉のルーツは長く、お話いたしました通り「丹野家」が始めた温泉施設の初代から数えて現在、丹野正次氏で29代当主となりあしかけ800年の歴史があります。
それは単純に計算しても時は「鎌倉時代」。後に室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和時代と続きます。

中でも「明治時代」は「明治維新」に置き換えられるように、日本国にとって大きな変貌期となりました。これまでの鎖国制度は撤廃され、諸外国からいろんなものが流れ込み見る見るうちに変わって行きました。

↑この写真は江戸末期の丹野七兵衛旅館です。(名号館丹野七三郎の本家)
この時代の旅館の名称は「翠しょう館」しょうの漢字が出ないので写真でご覧になってください!(「しょう」は山へんに章という漢字ですね;^^)
「翠」は新芽の緑色という意味です。「しょう」は山々が連なり続いているという意味です。
お気づきの方もおられると思いますが、本家、丹野七兵衛旅館の名称は「青嶺閣」。
なんと明治維新は本家の名称までもカエザルヲ得なかったのです。

↑この写真下部の案内文字では明治時代となっておりますが、おおよそ江戸末期から明治維新までの青根温泉全景の様子と思われます。
左下の方には「社務所」があり、温泉街全体がいわゆる「神社境内」の様相を呈しておりました。
「鎖国制度」という名目で守り抜いてきた「神国日本」ですが、維新の風はその伝統を守り抜くにはその「形」を変えざるを得なかったのでしょうか?。
ちょうどこの頃、丹野七兵衛は丹野七三郎に「湯守の神」を祀るための神社「名号館」の建立を命ずるのでした。