構造再計算の結果
〇 鶴の間、亀の間設計時の構造計算の誤り
丹野七兵衛の命により丹野七三郎が建立した「鶴の間、亀の間」ですが、時に明治維新の大命令での神社建築(名号館)、更に31年後の青根大火災による本家皇室の間の全焼、そんな中での丹野家の采配故に、かなりの焦りもあったものと思います。
鶴亀の間に関しては皇族に迷惑があってはという事で、平面計画に関してはほぼ同じ計画でしたが、本家「青嶺閣」の動線計画に関してはあくまでも全体構造の一部として計画されました。
その点、名号館を曳まいして建設された鶴亀の間はあくまでも独立した構造となっております。本家、分家とも同じ平面計画故に独立構造となれば柱、梁、桁の配置が若干変わってくることになります。
そこで改めて、現存の鶴亀の間の構造計算を行いました。

一階平面図

二階平面図
上部が南側(法面)にて〇が通し柱になります。二階から確認しても〇通柱が4本だけとなっております。旧本家青嶺閣の構造のように連続構造物の場合は、構造物全体にてモーメント、軸方向力その他に耐えうるのですが、現存の大正館においては単一方向に関しての耐力しか働かず座屈する結果となります。
考察するに、皇族に対する奉仕できない期間を考え焦り本家と同じ構造で建設してしまったものと推察いたします。
結 論
上記の結果からすれば、大正館全体の歪その他に関しては、当初設計に近い形であると言う事ができ、多少の上下左右のずれは想定の範囲内であること。(そのために独立基礎の方式で、束石、束柱を使用している。)調査の結果より地盤に対する耐力の心配がない事、故に東南角おばあちゃんの間のみの沈下復旧作業が急務の様です。